2014年10月27日月曜日

高度経済成長とオリンピックで日本がどう変化したのか詳しく解説


日本の経済を学ぶ上で絶対に欠かせないのが高度成長期と東京オリンピックです。でも学校では詳しく教えてくれない。映画ALWAYSを見て高度成長ってこんな感じだったんだと知った人も多いかと思います。現在の60代の人達が子供の頃ですよね。現在の日本があるのもこの時代があったからこそです。この時の頑張りがなければ今の経済大国と呼ばれる日本は存在していなかった。今回は経済成長はどのように進んでいったのか、どう変化したのか、そしてオリンピックが与えた影響を詳しく解説します。私は現在30代ですが、本、テレビ、親の体験談など様々な情報を交え、この記事を読めば高度経済成長期はバッチリという感じで制作しています。長文ですが、お役に立てれば幸いです。

高度経済成長が成功した理由は日本人の性格


ソ連最後の共産党書記長ゴルバチョフはこのような言葉を残します。
「世界で最も成功した社会主義国は日本である」ちょっと不思議ですよね。社会主義っていう言葉が引っかかります。そもそも社会主義っていうのは労働者が主人公で、働けば働くほど国が豊かになる。というのが理想です。しかし働いても給料は上がらないので、仕事はせずにサボった方が得だ。このように考えた人が多かったのでソ連は成功しなかったんですね。でも日本人は一生懸命に働き、とにかく頑張りました。実際にはもちろん社会主義ではなかったけど、ゴルバチョフはこのような言葉を残したんですね。では戦後何もなかった時代からどのように経済成長したのか?

GHQの命令によって財閥解体や公職追放などが行われました。そして大きな任に就いていた人達が若返ります。ふんぞり返っていた人達がどんどいなくなったんですね。これが経済成長へと突入するキッカケとなります。日本人の性格がどんなに真面目でも政治がちゃんと機能しないと国が良くなる事はないですからね。

初期の経済成長は国に守られて成功


朝鮮戦争が終わった頃から日本は経済成長へと突入しますが、その当時は国にかなり守られ、計画的に経済が発展しました。アメリカが守ると日本はこんない経済で成功した、という事を証明するため。という政治的な面が大きく関係しています。自力ではなかったんですね。ですが徐々に自力で経済が発展していくようになります。

神武景気(1954年~1957年)日本の最初の天皇、神武天皇が誕生して以来最も景気が良いという事で名前が付けられました。

岩戸景気(1959年~1961年)更に景気がよくなり、
日本神話の天岩戸から名付けられます。

いざなぎ景気(1965年~1970年)どんどん景気がよくなります。ついには日本の誕生神話まで話がさかのぼり、いざなぎのみことと、いざなみのみことが結婚する事によって日本という国を産み落としたという国づくり神話から名前を取ります。

池田勇人による所得倍増論


当時の総理大臣、池田勇人さんが所得倍増論という発表をします。(1960年)どういう計画だったのかというと、設備投資をし、企業の生産を活発にします。生産が活発になると労働者の給料が増えます。給料が増えると国に入ってくる税金が増えます。国に税金が多く入ってくると国はこんなにお金は必要ないよ。という事で減税をします。減税をすると、国民の消費が増えます。貯金をします。このように雪だるま式に国の経済は良くなるという計画の発表です。

実際に所得倍増計画は成功し、10年かからずに国民の所得は倍に上がります。では実際にどのような事を行ったのか?

インフラ整備を行った


道路を作ったり、鉄道を整備したり、トンネルを掘ったり、今で言う公共事業のような感じですね。当時は道路を一本通すだけで劇的な変化があり、経済効果がありました。まだまだ日本という国は何もない状態でしたから当然ですよね。

エネルギー革命


丁度日本が経済成長をする時期と同時にエネルギー革命が起きます。それまでのエネルギーは石炭でした。しかし中東で石油が見つかるのです。石油が見つかっただけでは大きな変化には繋がりませんが、石油精製工場が様々な場所に建設され、劇的な変化へと繋がるのです。車がガソリンで走るようになり、プラスティック製品が普及します。今の私達の生活に欠かすことが出来ない製品ですよね。そしてこのプラスティック製品の登場により、日本ではポリバケツが普及します。飲食店の裏などで見る事がありますが、大きなバケツをした形のゴミ入れですね。それまでの日本は各家の前に木製のゴミ箱があり、そこに家庭のゴミを入れて収集車が取りに来るという方法でした。凄く不衛生ですよね。しかしポリバケツの登場によって各家庭でゴミを入れ、フタをし、それを収集車で回収する。今と比べるとまだ不衛生なのですが、当時の日本としては劇的な変化となったのです。

預金・貯金キャンペーンを行った


設備投資をするには多額の現金が必要になりますよね。しかし戦後の日本でには銀行が多額のお金を貸し出すほどの余力がなかったのです。そこで国を上げて預金・貯金キャンペーンを行います。銀行にお金を預けると利子が付いてお金が増えるし、家に現金を置いておくよりも安全ですよ。というキャンペーンを行います。すると国民が銀行にお金をどんどん預けるようになり、銀行にお金が集まるようになったんですね。今の日本人は貯金が好きだと言われていますが、昔からそうではなく、この当時の刷り込みが今でも残っているからなのです。

財政投融資


大きな工場や製鉄工場を作ろうと思うと長期間での融資が必要になります。そこで郵便局が出てきます。郵便局に預けられたお金を大蔵省に貸し出し、政府専用の銀行へ預けられ、そこから製鉄業や工業、重工業へとお金が投資されました。国が間に入っているという事で安心してお金が預けられる、借りられるという事で上手く発展しました。経済成長には財政融資が大きく関係している言われています。

重厚長大から経済が成長した


日本には造船技術がありました。戦艦大和を作った事は有名ですよね。経済成長をする時にもそれらの技術はしっかりと残っていて、先ほどの財政投融資が行われうまく波に乗れたんですね。そして日本は造船大国になっていきます。重厚長大とは重たいもの、長いもの、大きなものという意味で、三菱や川崎などの重工業が今でも日本で活躍していますよね。政治と日本にあった技術力によって日本の経済はどんどん成長していきます。

労働組合による春闘


働いている会社には労働組合がありますよね。仕事を休んで会社に賃金引き上げを要求するんですね。ストライキです。アメリカでは産業事に労働組合がありますが、日本の場合は企業ごとに労働組合があります。ひとつの会社だけがストライキを起こすと生産が止まり、売上が落ちてしまいますよね。ですので日本の場合は同じ産業同士の組合が春に賃上げ交渉をしましょう。と決め、春先にストライキが結構されていたんですね。春の闘いと書いて春闘(しゅんとう)と読みます。今では考えられないですが、給料の引き上げ交渉をすると毎年給料が上がっていきました。それだけ日本の経済はずっと上向きという事ですね。平均年収の右肩上がりは1998年まで続きます。

消費ブームと自動車産業で先進国の仲間入り


このようにして日本は高度成長の波に乗ったわけですが、それと同時に国民の生活も大きく変わっていきました。給料が増えたわけですから消費する金額も大きくなります。では具体的に国民の生活がどのように変化していったのかみていきましょう。

三種の神器と車の普及


映画ALWAYSの中でも登場しましたよね。洗濯機、白黒テレビ、冷蔵庫。この3つが一般家庭に普及していきます。冷蔵庫はそれまで電気で冷やしていたのではなく、氷を直接入れて冷やすタイプの物でした。氷を運んでくる氷屋さんが存在していたんですね。そして洗濯機も今のようにボタンひとつで全てを行ってくれるタイプではなく、下の画像のように取ってが付いた製品が多かったのです。


この取ってを何に使用するか分かるでしょうか?
洗剤と水を入れ、ぐるぐる回します。そして自分で水を入れ替え、今度はすすぎます。そして最後に洗濯機の端に付いたローラー部分に衣服をはさみ、この取ってを回して脱水を行っていました。今から考えれば凄く原始的なのですが、当時としては画期的だったんですね。

団地の登場


今でも存在しますが、コンクリートで出来た集合住宅。当時は木造がほとんどでしたが、頑丈なコンクリートで出来た建物に住むという事が憧れになっていきました。多摩ニュータウンが代表です。

冷蔵庫とテレビによって大きく変わった生活


今では信じられないのですが、ビールは冷蔵庫の登場までは生ぬるい飲み物でした。しかし冷蔵庫の普及によって家庭でも冷たい飲み物が簡単に飲めるようになった。ビールを冷やすとこんなに美味しいのか。という事で爆発的にビールやジュースが売れるようになります。冷やす事によって鮮度が保てるお刺身や、野菜なんかもそうですよね。冷蔵庫の登場によって食生活に劇的な変化が訪れたました。

テレビは娯楽文化が変わったのはもちろんですが、コマーシャルによって商品が売れるという仕組みが出来たのが凄く大きいのです。テレビを見ていて商品のCMが流れると欲しくなり、次の日に買いに行くと既に売り切れている。当時のテレビは放送局も少なく、視聴率が50%という番組が沢山ありました。それだけテレビの力が大きかったのです。

自動車産業と大衆車の普及


先進国の仲間入りを果たすには自動車の製造が不可欠でした。技術力が凄く高い分野で、使用する部品も一万点以上という数になり、部品を作る会社、組み立てる会社、簡単には参入出来ない産業だったんですね。しかし、日本政府が自動車産業へ参入しなければ先進国の仲間入りは出来ないと考え、自動車産業の育成を開始します。そして自動車を一派家庭に普及させる事を目標にします。大衆車の製造ですね。

国民車構想

一般家庭に車を普及させるにはどうすればいいかの?サラリーマンが購入出来る金額に設定する必要があります。そこで国民車構想の条件を決定します。

・最高時速100km以上
・4人乗れる
・排気量350cc~500cc
・大きな修理が無くても10万km以上走れる
・販売価格が25万以下

今では考えられないような設定ですが、当時の技術力ではこれが精一杯でした。当時のサラリーマンの年収が25万円ぐらいだったので、年収で購入出来る25万円という価格に設定されました。そしてこの条件をそれぞれの自動車会社へと流し、最初に完成したのが


富士重工のスバル360です。通称てんとう虫と呼ばれています。ルパン三世を思い出した人も多いかと思います。国の指定では25万円以下でしたが、最終的に完成したスバル360の販売価格は42万5千円となりました。現在の物価水準にすると600万円ほどだそうです。

そしてホンダスポーツ360、トヨタのコロナ、日産のブルーバード、と続きます。トヨタのコロナと日産のブルーバードはどちらも1000ccでした。ブルーバードとコロナの頭文字を取り、BC戦争と言われ、お互いに切磋琢磨し、自動車産業が活発になっていきます。トヨタは愛知県の挙母市(コロモシ)に巨大な自動車工場を作ります。挙母市だと何がある場所か分からないという事で、現在の豊田市へと名前が変更されます。

このようにして一般家庭へと車が広がっていきましたが、自動車が普及するスピードに運転マナーや道路の整備が追いつかず、今でいう東南アジアのような風景でした。横断歩道はないし、車は歩行者の事を考えずに突っ走る。当時小学生だった人は懐かしいと感じるかもしれませんね。

三種の神器から3Cへ


洗濯機・白黒テレビ・冷蔵庫の三種の神器が普及すると、今度は新たに3Cという名の新しい神器が登場します。何だか分かりますか?Cを頭文字に取った製品です。

・Car (車)
・Cooler(クーラー)
・ColorTV(カラーテレビ)

この3つが新たな三種の神器となります。クーラーは今ではエアコンって言いますが、当時は冷やすのみの機能でしたので、クーラーという名称でした。

このように国民の生活にも大きな変化が現れ、劇的な経済発展をしている日本でオリンピックが開催される事が決定し。いよいよ日本は経済大国へと発展していきます。

東京オリンピックで劇的に変わった日本


2020年の東京オリンピック開催が決定しましたが、1964年に開催された東京オリンピック。これが無ければ今の日本経済や環境、更にはマナーまでもが存在しなかったと言っても過言ではありません。ここまで記事を読んでいると分かるかと思いますが、日本は急激に経済発展したんですね。中国のマナーなどを見ているとゾッとする事がありますが、実は日本も昔はほとんと変わらない状態でした。

交通機関、マナー、高速道路


劇的に変化があった3つです。どうしてマナーが入ってくるのか?と疑問に思う人も多いかと思います。今でこそ世界から絶賛されている日本人のマナーですが、当時は電車も綺麗に並ばないし、降りる人が優先、譲り合いという暗黙のルールも存在していませんでした。オリンピックは世界中から注目され、多くの外国人が日本に来ます。この時にマナーや交通機関、更には環境がちゃんとしていないと恥ずかしいという事で急ピッチで整備が進められました。

東京はスモッグで最悪の状態だった


東京タワーに登れば綺麗な街並みを一望する事が出来ます。しかし1964年の東京タワーに登ってもスモッグで何も見えない。そんな状態でした。実際に海外の人達からは東京でマラソンをするなんて事は非人道的だと言われていたぐらいです。でも、開会式のテレビ中継では抜けるような青空とアナウンサーが伝えます。実際に東京はスモッグなんて存在しないぐらいに綺麗な青空だったそうです。何故でしょうか?実は前日に大雨が降りスモッグが全て洗い流されたのです。開会式の次の日からは元の状態に戻り、マラソンも予定通り甲州街道を選手が走り抜けました。

高速道路の整備


映画ALWAYSで「この上に道路が出来るんだって。高速道路って言うんだって」という台詞が出てきますが、正にその時代です。名神高速道路が最初に完成し、その次に東名高速道路が完成します。この2つが繋がると東京、大阪間が五時間で移動出来る夢のような道路。と言われていました。

新幹線の開通


いよいよ新幹線が開通します。凄く順調に出来たように思いますが、実は開会式の9日前に開通とギリギリだったのです。1964年の10月1日に開通式が行われました。ひかり一号が東京駅から出発したのです。しかし凄いのは着工からわずか五年半という短期間で東京、大阪間が完成したこと。総工事費は3800億円だったと言われています。いよいよ日本にリニアモーターカーが走る日が近づいてきましたが、リニアモーターカーが完成すると新幹線はどうなるのか?という事が個人的に少し気になります。

ホテルの建設ラッシュによって登場したユニットバス


今でこそ当たり前ですが、ホテルとトイレがセットになったユニットバスはオリンピック開催に合わせて巻き起こったホテルの建設ラッシュで登場しました。外の工場でユニットバスを作り、クレーンでホテルの部屋へ直接入れていたんですね。各部屋のお風呂をひとつずつ作っていては到底間に合わない状況という事が伺えます。この時に洋式トイレが導入され、多くの日本人は使い方が分からなかったそうです。便座の上に直接足を置いて座る人が多かったので、トイレの横には使い方が掲載されていました。今の時代は逆で和式トイレの使い方が分からない世代が多くなってきていますよね。ちなみに当時は各家庭にお風呂がなく、街の銭湯に通う事が当たり前でした。毎日行くのは無理なので、頭を洗うのは週に2~3回程度が一般的だったそうです。今から考えるとちょっと想像が出来ないですよね。

オリンピックで変わっていく日本人のマナー


私は30代前半なのですが、オリンピックの時は当然まだ産まれていません。しかし小学生ぐらいの頃、1987年ぐらいは特急や新快速など長時間乗車する車両には灰皿が置いてあり、電車の中で普通に大人たちはタバコを吸っていました。凄い時代ですよね。でも1964年東京オリンピックの前はそれよりも更に凄い状態です。道端にゴミを捨てるのが当たり前、駅のホームでタンを吐くのが当たり前。これでは恥ずかしすぎるという事で、駅構内にタンツボという物が設置され、その中にタンは吐くようになっていったそうです。今から考えれば方向性が完全に違うと思うのですが、当時はそれでもマナー向上だったようです。

海外旅行に団体で行くジャルパックが出来る


1966年頃にジャルパックというものが出来ます。JALが打ち出した海外への団体旅行パックですね。当時は今から考えられないような円高ですので、簡単に海外へ旅行するなんて不可能でした。しかし団体旅行で行く事によって当時としては凄く安い値段で海外へ行くことが可能となったのです。羽田空港には見送りに親戚一同が来るような一大イベント。帰る時には全員分のお土産を買って帰るので経済効果はかなり高かったようです。ジャルパックで海外へ行くとJALのロゴが描かれたバッグが貰えるのですが、今でいうスタバでマック広げてドヤ顔と同じように、ジャルパックのカバンを持って街でドヤ顔っていうのが流行っていたそうです。

食品事情が凄かった時代


アメリカの大統領、ジョンエフケネディの弟、ロバート・ケネディ上院議員が来日し、東京の早稲田大学で公演をした事があります。その公演の質疑応答で学生が「あなたのそのエネルギーの源は何ですか?」というような質問をした時の返答が「アイスクリームです」という言葉に皆が驚きます。。その当時の日本人は色の付いた液体を凍らせた物がアイスクリームだと誰もが思っていたのです。ですので、何故アイスクリームがエネルギーの源になるのか?と疑問に思いました。アメリカでは乳脂肪分が8%以上の製品をアイスクリームと呼ばれていたのです。メディアでも大々的に扱われ、食品事情に感心が出るキッカケにもなっていると言われています。現在は乳脂肪分が8%未満の商品はラクトアイスとして表示されていますよね。ケネディーの発言によって表示成分をしっかりと行おうという流れに変わっていたとも言われています。

モーレツ社員と遅延証明証


当時は今のJRではなく国鉄でしたので、サービスが良かったわけでもなく、電車の本数も今と比べれば凄く少ない状態。東京の通勤ラッシュは今と比べられないほどに大変でした。電車が来ても乗れず、降りる事も出来ないような状態。必ず朝は電車が混雑するので、遅延証明証が駅構内に普通に置いていたそうです。10分20分30分とそれぞれボックに入れられていて、自由に持っていく事が出来ました。今でも台風の時などは遅延証明証を発行してもらう事が可能ですが、必ず駅員さんから手渡しでもらいますよね。当時は一人ひとりに渡していられる状況ではなかったのです。

当時は家庭にクーラーがなく、家に帰宅すれば真夏は暑い。会社にいた方が快適という事で、遅くまで残業をする人が多かったそうです。モーレツ社員という言葉が流行りました。高度経済成長の時は働けば給料が増え、来年もその次の年も今よりもっと豊かになっているという希望と期待が日本国民にありました。ですので誰もが一生懸命に働き、実際に経済は上向きとなりました。


ここまで高度経済成長の流れを見てきたわけですが、羨ましい部分とそうでない部分っていうのはハッキリと分かれますよね。日本全体が前を見続けて頑張れたのは凄く羨ましいですが、マナーの部分であったり、食品問題っていうのは今の生活の方が断然に良い。今の日本は物が溢れ、希望が薄れ、光が全く見えない状況まで来てしまいましたが、オ・モ・テ・ナ・シと共に突如決定した2020年の東京オリンピック。1964年ほど大きな変化はないと言われていますが、個人的には同じぐらいに日本は大きく変化すると思います。それは経済学、歴史を見ていれば誰でも分かる事です。明るい2020年が迎えられるように準備をしておきましょう。
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